なぜ"若くて可愛い(格好良い)人"の周りに人々は集まるのか。そこから"可能性"を考える。
若さには"可能性"がある。
その若さを象徴するのが可愛さであり、格好よさ。
例えば。綺麗な肌・髪、大きな目、快活な表情、高い声。
人々は、それらを若さのシンボル(指標)とする。
例えるなら、光(シンボル)に集まる虫(人々)。
"可能性"を見出す指標としての"若さ"だ。
なぜ若さから感じる"可能性"に人は惹かれるのか。
それは、今後の自分(私たち)の人生に関わる事だから。
考えてみると当たり前だが、政治家、宗教家の周りには人が多い。
彼ら・彼女らは暗に言う、「あなたたちの人生を良くする可能性を持っている」。
もし自分に、「魅力がない、周りに人がいない」と考えるならば。
見た目的な若さ(シンボル)を失ってしまっている場合には、この"可能性"の要素が大事になる。
大事な要素は"若さ"ではなく、そこから見出される"可能性"。
自分は"可能性"を持っている事をアピールする事で、周りに人を集めることが出来る。
そして、もし自分の未来に"可能性"が無いのならば、人は集まらない。
年齢を重ね、40代、50代、60代になった時。
一般的に、新たな友達やパートナーを作る事は難しい。
それにも"可能性"が関係しているのかもしれない。
何歳になっても、常に自分の未来に"可能性"を持つ。
発想を柔軟にし、行動に移す事でその"可能性"を作ろう。
そして、周囲の人間(特定の人間でも構わない)に"可能性"をアピールしよう。
「私と一緒に過ごすと、こんな良いことがあるよ」
「私はこれから、こんな新しい事をするよ」
こういった事を言える様になれば、あなたの周りには人が集まるだろう。
つまり、若さ・格好良さのみを追い求めるのはナンセンスかもしれない。
"格好良さ"は"若さ"の象徴。
そして、"若さ"は"可能性"の象徴。
追い求めるべきは、"格好良さ"ではなく、そこから導きだされる本質の"可能性"。